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現行栽培から変わった方法をとると周りから叩かれる

現在の栽培方法

現在のナスの栽培方法を要約すると「ガンガン肥料を与える」と「農薬を適宜使う」です。「ガンガン肥料を与える」は1週間に1度化学肥料を、あるいは3日に1回液体肥料を与えます。常に肥料を与え続け7~10月まで収穫します。農薬を適宜使い、害虫を駆除、病害を防ぎます。これが現行の方法で、今後「現行栽培」と述べたときはこれを指します。

現行栽培の課題

現在、肥料の価格が高騰しています。高騰したからと言って市場の買い取り価格は上がりません。そのため農業の収入は減少していきます。現行栽培では常に肥料を与える必要があり、作れば作るほど赤字になる可能性をはらんでいます。

今年の収入は大丈夫です。なぜなら価格が高騰する前に肥料を確保しました。では来年は?再来年は?きっと肥料の価格は下がらないでしょう。

時間軸をずらして考える必要がある

少し、本題と離れます。物事を考えるうえで時間軸をずらす必要があります。「今」「1年後」「10年後」の3つの視点で私は考えています。これは短期、中期、長期の視点で判断を誤らないテクニックの一つです。健康を例に、ラーメンを大好きな人がいると仮定します。「今」毎日のようにラーメンを食べスープまで完飲します。今は幸せいっぱいです。「1年後」はこれが習慣となり、ラーメンなしでは生きていけなくなります。「10年後」毎日のラーメン生活が祟り、生活習慣病のフルコンボを達成します。不健康の鏡みたいな人が完成します。

「今」のタイミングで1年後、10年後を考えられたらラーメン生活をしていなかったでしょう。この生活を続けたら、習慣化したら、10年後多くを失うと考えられたら今の幸せを優先しすぎることは無かったと思います。

現行栽培も同じこと

現行栽培も時間軸をずらして考えてみます。楽観的に見れば「今」肥料の価格は上昇しているが、「1年後」には肥料の価格が元に戻り、「10年後」も同じように栽培ができる。悲観的に見れば「今」肥料の価格が上昇し、「1年後」も高騰し続け、「10年後」も肥料の価格は高いまま、あるいは肥料が手に入らない。

楽観的な視点では何も対策しなくて済みますが、悲観的な視点では対策を打つ必要があります。私は後者を選び、対策を打つことにしました。

雑草を活用する

敵とみなされていた雑草を活用する方法をとりました(詳しくは別の機会に)。この方法は現行栽培をしている人にとってアレルギー反応を示します。色々なことを言われます。「こんなんじゃダメだ」「出来るわけがない」など否定的なご意見を頂戴します。その方たちに肥料が高騰し続けたらどうしますかと質問しても「上がりつづけない」「JAが何とかする」と自分たちで何か努力する訳ではなさそうです。

肥料が手に入る今から別の栽培方法を試して、肥料が少なくても栽培できる方法にシフトして悲観的な未来でも対応できる準備を整える必要があります。

いつでも肥料が手に入るとは限らない

今回の肥料の高騰で何がきっかけで肥料が手に入らない状況になるかわからないと痛感しました。今回はウクライナの戦争ですが、「持続可能な農業」という思想からも肥料が手に入りずらくなる可能性があります。肥料は莫大なエネルギーを使って作られるため、「NO化学肥料」のような運動が起きてもおかしくありません(欧州を中心に)。最悪、化学肥料が無くても栽培できる準備は必要です。

ちょっと農薬の話

農薬も同様です。ネオニコチノイド系の農薬が使えなくなる未来が近いかもしれません。この農薬は非常に使い勝手が良いです。幅広い害虫に効いて、抵抗性を持つ虫にも効果があります。しかし「ネオニコチノイド系農薬反対」というムーブメントが起きつつあります。科学的に安全でも「何となく怖い」という理由で禁止になる可能性があります。農薬が使えなくても栽培できる方法を農業従事者も考える必要があります。

私は生態系ピラミッドの考えを農地に落とし込んでいます。捕食者を増やして害虫を食べてもらおうという考えです。クモやアシナガバチは捕食者の代表です。それらを呼ぶためには雑草が必要です。周りの人には理解してもらえませんが関係ありません。彼らは今しか見ておらず、私と視点が違うため考えも変わってきます。

結果で示すしかない

結果を示して周りに理解してもらういましょう。私からしたら、周りに理解、納得してもらう必要はないですけど。私が選択してその責任を負っているのですから。

さらに述べると私が挑戦している栽培方法は特別栽培につながります。特別栽培は現行栽培の化学肥料と農薬の使用量を50%削減出来たら名乗れます。付加価値が得られ、単価も上がります。JAからしたら面白くないでしょうけど、それが商売です。私は1~2年後までに特別栽培ができるよう目指していますから、挑戦しない現行栽培に固執する人たちから文句を言われるのは至極当然かと思います。